NIKON P330

半年も前に買ったまま箱入りだったP330を開梱し、数日前から使い始めた。
それまではずっとP310を使っていて、こちらはもう1万ショットを越えている。
その前に使っていたRICOHのR10は、5000ショットぐらいでAFが不調をきたしたのだけれど、NIKON P310はそんな素振りもなく、ビスが1本抜け落ちたのと所々に傷がついたものの何の問題もなくの1万ショット越えである。
5年保証をつけてあるけど、もうそろそろP330に移行してもいいだろうと、そう思ってから早数ヶ月、ようやく液晶保護シート貼付の儀も終えて、暑さも和らいだここ数日昼休みにカメラ散歩してみた。

DSCN0015撮像素子が1/2.3から1/1.7になったせいか、画質がかなり良くなっていて驚いた。
なんやかんや言っても、画質が良くなると撮る気が増す。
が、起動速度や撮影後のレスポンスがP310より悪くなっていて、こちらはかなりイライラする。とっさのスナップはもちろん、普通に撮るときもワンテンポ待たされる。
とはいえ、一度この画質を見てしまうとP310に戻れない。
まったく罪作りだ。
しょうがないので、早めにカメラを起動するようになったけど、なんとか改善してもらいたいものです。(ただ、すでに発売済みのP340でも改善されてないようだが…)

DSCN0130レスポンスという点ではフィルムコンパクトカメラが最高だけど、大げさな巻き上げ音と結構な大きさがあるので最近は使ってない。少し前にStart35とかいうカメラというのがあるらしいと知って一度使ってみたいと思ってはいるのだけれど。35mmフィルムをブローニーみたく巻き紙に巻いて装填するらしい。当然自家現像できないとだめだけど、この点はクリアしているので、なんとか使ってみたい。
Start35友の会ワークショップとかありませんかね。=^_^;=


SONY α77 いまさら来る

CANON 6Dを買うまでの繋ぎということでα100を引っ張り出してきて半年近く、特に不満もなく使ってきました。あ、レンズは結局DT16-50mm/F2.8を買っちゃいましたが。まぁ、広角24mm使いたいので、このレンズ買うしかないわけで。いや、このレンズなかったら、早々にAマウントとはお別れだったかもしれません。使いたい画角のレンズがないのではどうしようもないですから。逆に言うと、それ以外のこだわりはなくなってしまったという…これが老いなのだろうか…オイオイ=^_^;=
ま、冗談はおいておいて…
タイトルにありますように、α77をポチッとな、なのであります。
きっかけは、たまにはデジカメwatchでもと覗いていて、α77IIの記事が目について読んでいるうちに迷宮にさまよいこんだという。正直、デジカメの最新機種とかあまり興味なくて、半分ウラシマ状態だったのですが、このα77(記事のはその後継機ですが)って一眼レフ?ミラーあるようだけど、EVFって、どういうこと?みたいな
トランスルーセントととかなんとか、確かハーフミラだよねと、調べてみたら基本ミラーレスと同じだけど、ハーフミラーでAFのために分光してるってことか、と。
つぅことは、Aマウントでミラーレスみたく使えるってこと?いいじゃん、それ。
となったわけです。
というのも、α100を復活させた時点で単焦点3本とF2.8通しの広角寄り標準ズームを揃えたので、この資産でそのままミラーレス的環境を体験できるなら、それにこしたことはない。
おいおい、フルサイズデジイチはどうしたという声が遠くから聞こえてきそうだけど、フルサイズにこだわるのは、とにかくファインダー、なにはともあれファインダー、なのですね、私の場合。そこへ倍率0.72倍視野率100%の一眼レフと遜色のない(という評判の)EVFファインダー機がAマウントで使えるなら、全然OKなのです。(いや、既に2年前からOKだったわけですが、デジカメ最新機種に興味がなくなった私が知らなかっただけという…)もちろん、銀塩カメラとのレンズ共有ということもあるので、CANONあたりのフルサイズ機は欲しいけど、まぁ、それはいつでもいいやって気分。
というような脳内会議を経て、例のごとく、最新のα77 IIではなくて、型落ち値崩れ品のα77をポチったのです。(ご丁寧に5年保証まで付けて=^_^;=)

_DSC0105まぁ、一応評判とかネットで調べてみたわけですが、なんか最初は評判よくなかったようですな。(だからこんなに安いんでしょうが…=^_^;=)
連写がウリなのに、すぐバッファがいっぱいになる、とか>ほとんど連写しないので、私カンケナーイ
高感度ノイズボロボロとか>ISO800ぐらいまでしか使わないので、私カンケナーイ
そんなフィルム写真デファクトな私が使ってみたα77のお話でも、しばらくしてみることにしましょう。


映画と写真

おそらく5年ぶりぐらいに映画館で映画を観た。かつて私は「初会映画館主義」を宣言し、年に200本以上の映画を映画館で観ていた。それが、本格的に写真を撮るようになってただの1本も観なくなっていた。我ながら極端だと思う。まぁ、それだけ写真に傾倒していたということだろう。
そんなノーシネマライフが終わりを告げることとなったのは、観たい映画があったからであるが、もちろんこれはきっかけにすぎず、「写真の嵐」の時代が去って写真以外のものに再び気持ちを割く余裕ができたのかもしれない。
観たかった映画はポーランド映画の「イーダ」。モノクロの新作映画だ。第二次大戦のユダヤ人迫害に関連した戦後ポーランドのひとこまを描いたもの。なぜ観たかったかというと、我が魂のシネマフィルムに属する、アンジェイ・ワイダ作品に通じるものがあると思ったからにほかならない。しかも、私の好むロードムービー的要素も含んでいるというではないか。
上映が始まってからすぐに、映画の見方が変わっているのに気がついた。画面構成にすぐに意識がいくのだ。ただ、これはこの映画自体が独特の画面構成を取っているからなのかもしれないが、被写体(いや、被写体じゃなくて俳優だ!)とその上方への余白(いやいや、これは映画だ=^_^;=)の取り方が特徴的だった。特に冒頭は修道院でのシーンということもあり、この空間の取り方が効果をあげているのは明らかである。
また、写真と違い、動画であるということにも意識が向いた。基本的に固定カメラでの撮影中心の映画だったこともあるが、車などの動体の動きと止め方(どの位置で止めるか)とか、いきなり画面外から入り込んでくる動きによる効果とか。
写真をやる前の私であったら、あまり、というかほとんど気に留めない動きにも気にかけて観ているのである。
逆に、写真ならどう捉えるだろうかと自問するようなシーンもあった。
ラストシーン、それまでの固定カメラによるしっかりしたカメラワークから一転、手持ち撮影による動感あふれるカメラワークで、歩き続けるヒロインを正面から捉えつづける。数多の映画史的記憶が詰め込まれたようなラストシーン。これを写真で表現するならどうなる?いや、写真でも表現してみたい。そんなことまで思ってしまうのだった。
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